2020年9月2日
フェラーリはカネじゃない!<1>

フェラーリは維持費がバカ高いはず! 庶民に維持できるはずがない! という、いまだ払拭されない世間の認識に一石を投じるべく、我がフェラーリライフの維持費について、いま一度振り返ってみることにしました。

フェラーリがいかにすばらしいおクルマであり、地上唯一の自動車芸術であるかについては、これまで『そのフェラーリください!』を始めとする拙著に書きまくってきたので割愛し、細かい維持費にのみ、スポットライトを当てようと思います。

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第1弾は、最初に買った90年式348tbです。

このクルマは、私にとって初めてのフェラーリだっただけでなく、初めて買った中古車であり、初めて買った左ハンドル車でもありました。

事前にもうちょっとフツーなイタリア車(アルファロメオとかフィアットとか)で肩慣らしをすべきとも思いましたが、そこにお金を投じると、それだけ貯金が減ってフェラーリが遠のくので、近道のため、いきなり頂点にアタックしました。

1993年7月、31歳の夏でした……。

 

なぜフェラーリを買ったか、ごく簡単に振り返ると、私は集英社・週刊プレイボーイの編集部員だった1989年、かの『サーキットの狼』の作者であらせられる池沢早人師先生の担当者になり、先生のテスタロッサを運転させていただいて、「世の中にこんなものがあったのかぁ!」と、雷に打たれたのです。その恐るべき魔力は、悪魔のように官能的なエンジンが発するものでした。

当時はバブル期につき、フェラーリは死んでも絶対手が届かない雲上界のおクルマでしたが、バブル崩壊によって急速に値段が下がり、ついに自分の手に届くレベルまで下がった時、人生を捨てる覚悟で購入した次第です。

購入資金は、給料を貯めた貯金をはたきました。集英社は当時(たぶん今も)、ジャンプ様のおかげで大変な高給をくださっておりまして、額面で年収1千万円を超えていた記憶があります。つまり私のフェラーリライフは、間接的には『北斗の拳』や『ドラゴンボール』のお蔭様でございました。

 

その頃はまだフェラーリに関してまったく無知で、ほとんど手探りでした。当時の日本は、フェラーリの整備に関して「高くてアタリマエ」という観念が圧倒的で(今でも一般的にはそうだけど)、私自身、あまりにもフェラーリが分不相応な宝物だったため、あるだけカネをブッ込んで可能な限り最善の状態を保たねば! という激しい強迫観念を抱いており、その後に比べると出費が非常に多くなりました。

いわゆる「故障の修理」も、合計4回?発生しました。当時フェラーリと言えば世界で一番故障するクルマくらいに思われていたので、それでも「メチャクチャ少ない!」と思いましたが、振り返れば、27年間で13台フェラーリを乗り継いで、故障の発生は合計8回だけ。うち4回がこの348tbでした。

それは結局のところ、購入した個体が348tbの超初期型(90年式)で、メカの熟成がまったく進んでいなかったことが最大の原因だろうと思います。フェラーリに限らずどんなクルマでも、初期型はトラブルが多い傾向はあるでしょう。中でもフェラーリは、この時代あたりまでは、オーナーにテストさせていたみたいなところがあったので。

1台目 348tb (93~99年 5年半所有)

1993年7月 ナイトインターナショナルより、1163万2800円(諸経費込み)で購入

(つづく)

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