
元祖ご神体/テスタロッサ
実は、私が最後にテスタロッサを運転したのは90年代初頭で、詳しいことはほとんど忘れているのですが、なにせテスタロッサは、私の脳天に初めて落ちた神の一撃。想像を絶する破壊力でした。
それは、言うまでもなく池沢早人師先生のテスタロッサでした。ケーニッヒマフラーはアクセル一吹きで衝撃波が発生。渋滞の新青梅街道をトロトロ走っただけでとてつもない快感が脳天を直撃し、以来私は"目的を持たない神のようなクルマ"フェラーリ様に帰依する大乗フェラーリ教信徒となったのです。
あの頃のフェラーリと今のとの決定的な差は、ロクデナシ度にある。あの頃、なぜ私がテスタロッサを"目的を持たない神のようなクルマ"だと思ったかと言うと、すぐ壊れるし取り扱いが面倒だし、ブレーキが全然ダメで操縦性なし(この頃のフェラーリはすべてケツが出たら一巻の終わり)、まっすぐ以外はまるで速く走れないしで、結局全然人の役に立たない(だろう)と思ったからだ。それでいて人をひざまずかせひれ伏させるオーラに満ち満ちていたから、「ああ、これはご神体なんだな」と悟ったわけです。
新しめのフェラーリは、あんまり壊れないし取り扱いもラクだし鬼のように速く走れる。まぁそれでも人をひざまずかせひれ伏させるオーラを持つご神体には変わりないが、そういった現世利益が得られてしまう点は、純粋さの点ではマイナスですね。テスタの頃は、高い金出して苦労を買うだけだったのに。あの頃のフェラーリは、飢えた虎をかわいそうに思って自分を食わせるお釈迦様にも似て、大変ピュアだったと思います。
しかし、自分がいざ12気筒を買う段になると、テスタではなく512TRを選んでしまった。テスタよりはブレーキも効くし操縦性もいいし、サーキットでもF355を追い回せるからなんて、様々な現世利益の誘惑に負けてしまった。私にとってテスタロッサは、フェラーリ信仰の原点であるだけでなく、越えられない高い壁ということになりましょうか。











