
本音を言えば、私はイタリア車にGT性を求めていない。GT性とは、女性で言えば「すこーし愛して、長ーく愛して」であって、一瞬で人生を燃焼し尽くすような熱いイタリアン・スポーツには、求めてはいけない性格だからだ。
中でもフェラーリはその最たるもの。たとえマラネロの本社が「これはGTだ」と主張するモデルでも、実際にGTとして使う人などいやしない。なぜなら、フェラーリは走ると減るクルマだからである。走ると減るのだから、どうせ減るなら徹底的に、真っ白い灰になるまで燃焼させたいじゃないか。フェラーリでグランドツーリングに出るなんて、エリカ様に炊事洗濯をやらせるようなもの。美の浪費以外の何物でもない。と言いつつ自分のフェラーリでソウルまで走ったこともあるのだが、それはフェラーリの間違った使い方である。
しかし今度のカリフォルニアは違う。これはGTだ。華麗なるイタリアンGTそのものだ。ただし、決して「すこーし愛して、長ーく愛して」ではない。かなり激しく、しかし割と長く愛せる、新たなフェラーリの世界を切り開いたGTだ。
とにかく身構えずに乗れる。着座位置が高く視界がいい。ボディが適度にコンパクトで取り回しがいい。サスペンションが驚くほどしなやかでストローク量が大きい。クイックでステアリングインフォメーションに富んだターンイン、FRらしい素直でコントローラブルな操縦性。これらは、フェラーリに人生を賭ける破滅願望系の人間にとっては、本来すべてマイナス評価の対象だが、カリフォルニアの場合はすべてがプラス評価になってしまう。なぜなら、このクルマは中途半端じゃなく、徹底的だからだ。
いいとこ取りのヴァリオルーフを装備した、超軟派なオープンモデル。ボディもかなり重い。しかもオープン時よりクローズド時の方がスタイルもいいから、「たまには屋根を開けなくちゃ」という強迫観念も生まれない。何にも縛られず、要求されず、ただ優雅に楽しむだけ。そこには甘い生活だけがある。あのV8ミッドシップフェラーリが持つビリビリ感はまったくない。
しかし、フェラーリはフェラーリ。エンジンは常に本気だ。4・3リッターエンジンはフェラーリとして初めて直噴化され、吸気・排気の双方に可変バルタイ機構も装備している。フェラーリエンジンらしく、高貴なブリッピング一発で目頭が熱くなり、レッドまでブチ回せば魂は激しく燃焼するが、軽く流すのもいい。ここが重要だ。V8ミッドシップの場合、軽く流すのは美の浪費だが、カリフォルニアならひとつの愛し方。それが新鮮だ。
ミッションはフェラーリ初のデュアルクラッチ式なので、従来のF1マチック系と違い一瞬のクラッチ断続感がない分、F1気分は薄い。代わりに低速域でのギクシャク感はほぼ皆無、タイムラグも当然皆無だ。
カリフォルニアは、ワインディングを飛ばすのもいい。ミッドシップフェラーリはサスペンションのストローク量が少なすぎて、ワインディングを走っても結局楽しいのは音だけだったりするが、カリフォルニアは違う。シューマッハ様がチューニングしたというストローク量たっぷりのしなやかなサスペンションは、ゲルマン製GTのごとく、路面の凹凸をものともせず、しなやかに突っ走ってくれる。外から見るとビックリするくらいロールしてるが、だからこそワインディングを甘く軽やかに駆け抜けることができる。
乗っていて直感した。私はいずれこのクルマを買うことになるだろうと。そして、この華麗なイタリアンGTが演出するステキな生活を目指すだろう。それは恐らく7年後。それまではV8ミッドシップで魂を燃焼させることにしよう。
(『ENGINE』2009年10月号より)






