
順天市内から南東へ数キロ。
道に迷いながらも、ついに順天倭城を望む高台に辿り着きました。
看板の奥に見える石垣が天主台跡のようです!
一昨年の韓国巡礼では、加藤清正の蔚山倭城と島津義弘のし(さんずいに四)川城に参りましたが、時間が足りず、ここには参れませんでした。
でも、ついに来れました! 感激です!

駐車場にあった絵図。
こんなに海辺にあったのか……。
旧帝国陸軍参謀本部本の地図を見ても、こんなに海辺だとは示してなかった。
百聞は一見に如かずです。
絵図は、城が秀吉の死の直後、海から李舜臣水軍、陸から明・朝鮮連合軍に包囲された様子を表しています。
が、陸の明将は、シスイで明軍が島津軍に大敗していたので攻める気はなく、包囲作戦は失敗。李舜臣水軍のみ頑張って小西軍の退却路を絶ちましたが、島津・毛利水軍が救援に赴いたため迎撃。そのすきに小西軍は海路退却に成功しました。
海戦は李舜臣水軍の勝利でしたが、李将軍は戦死。多くの日本将兵がなんとか日本への帰還を果たしたのです。
実に薄氷の退却戦でした。
絵図では明の陸軍が城に攻め込んでいるように描かれていますが、実際には小西軍の退却後、空になった城に踏み込んだに過ぎませんでした。










