そういち徒然草

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順天倭城

日付/2010.03.03

 慶長の役の折、小西行長が築いた西の最前線でした。

 順天市内から南東へ数キロ。
 道に迷いながらも、ついに順天倭城を望む高台に辿り着きました。

 看板の奥に見える石垣が天主台跡のようです!

 一昨年の韓国巡礼では、加藤清正の蔚山倭城と島津義弘のし(さんずいに四)川城に参りましたが、時間が足りず、ここには参れませんでした。
 でも、ついに来れました! 感激です!

 駐車場にあった絵図。
 こんなに海辺にあったのか……。

 旧帝国陸軍参謀本部本の地図を見ても、こんなに海辺だとは示してなかった。
 百聞は一見に如かずです。

 絵図は、城が秀吉の死の直後、海から李舜臣水軍、陸から明・朝鮮連合軍に包囲された様子を表しています。

 が、陸の明将は、シスイで明軍が島津軍に大敗していたので攻める気はなく、包囲作戦は失敗。李舜臣水軍のみ頑張って小西軍の退却路を絶ちましたが、島津・毛利水軍が救援に赴いたため迎撃。そのすきに小西軍は海路退却に成功しました。

 海戦は李舜臣水軍の勝利でしたが、李将軍は戦死。多くの日本将兵がなんとか日本への帰還を果たしたのです。
 実に薄氷の退却戦でした。

 絵図では明の陸軍が城に攻め込んでいるように描かれていますが、実際には小西軍の退却後、空になった城に踏み込んだに過ぎませんでした。


 この石垣は、2007年に復元されたものです。

 倭城の復元など、以前の韓国の国民感情を考えればあり得ないことでした。
 それが近年、続々と行われているのは、韓国国民の余裕の表れです。

 最大の要因は、日本での韓流ブームだと私は見ています。
 多くの日本の女性が、韓国人スターに心を征服された。これは、国土の征服よりも大きな征服です。

 ついに韓国は、史上初めて日本を征服したのです!
 だからこそ、かつての憎悪の対象を復元する余裕が出てきた。
 韓流ブームほど日韓の距離を縮めたものはないと私は思っています。