そういち徒然草

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ハイチに学ぶ

日付/2010.01.16

 ハイチ大地震でにわかに世界の注目を集めているハイチですが、この国は「平和基金(The Fund for Pease)」http://www.fundforpeace.org/web/index.phpによる失敗国家ランキング(2009年)では、世界第12位とされています。

 失敗国家ランキングとは、社会的・経済的・政治的な失敗度を数値化し合計したもので、1位はソマリア。以下アフリカ諸国が続き、6位にアジア勢最高のイラク、7位にアフガニスタン。ハイチの12位は米州ではトップです。

 では、いかにしてハイチはこのような失敗国家になったか、簡単に歴史を振り返ってみましょう。

(絵/ハイチ初代黒人皇帝のデサリーヌ)

約5000年前 南米ギアナからアジア系のアラワク人が移住
1492年 コロンブスがイスパニョーラ島を「発見」、スペイン人の支配下に入り、100万人程度いたと思われる原住民は、金鉱掘りなど過酷な労働やヨーロッパから持ち込まれた疫病によって激減に向かう
1519年 原住民の人口が約1万人にまで減少(その後混血を除いてほぼ絶滅)
17世紀 スペインの関心が中南米大陸本土に移り、イスパニョーラ島は放置される
18世紀 ほぼ無人状態だった島西部(現在のハイチ)にフランス人海賊等が入植し、フランス領に。アフリカから大量の奴隷を導入しサトウキビやコーヒーのプランテーションを発展させ、一時はフランスの富の4分の1を生む
1789年 フランス革命に刺激を受け革命闘争が勃発
1804年 独立宣言(ハイチ革命)


 このようにして世界初の黒人共和国となったハイチは、フランス人地主を処刑して土地を農民に分配しました。住民は白人との混血のムラート(約1割)を除くと、ほぼすべてが元奴隷のアフリカ系です。
 その後めまぐるしいクーデターの連発があり、国土は徐々に疲弊していきます。

1957年 パパ・ドクことデュバリエが大統領に就任。直後、凶悪な独裁者に変身し、世界最悪の圧制を敷く。その後は息子のベビー・ドクが継ぎ、約30年間、ミニ北朝鮮たるデュバリエ王朝が続く

 多くのアフリカの独裁国家同様、デュバリエ政権はひたすら国民から収奪することのみを目指し、一切「種」を植えませんでした。国民は狭い畑で自給自足する以外になく、森林はすべて燃料として消費され、国土は丸裸となりました。

 興味深いのは、多くのアフリカ最貧国同様、ハイチの人口増加率も極めて高いことです。あまりの貧しさと過酷な労働により、「少しでも働き手が欲しい」という思いや、希望のない生活の中で「増やせるのは子供だけ」という状況が、人口を増加させるのでしょうか。
 しかし農業生産性が向上しない状況で人口が増加すれば、貧しさはますます加速します。まさに究極の負のスパイラルです。


 日本は人口が減少に転じていますが、「貧乏だから生活レベルを維持するために子供を作らない」という選択は、極めて文明的なものと言えるでしょう。
 ただ、急激な生産人口の減少は、さらなる経済の衰退を招き、ここでもまた負のスパイラルは発生します。
 結局人間は、目先の利益にとらわれて、負のスパイラルに陥ってしまうのですね。

 「国民の生活が第一」と言って、長期的視野のない人気取り政策を続けていると、負のスパイラルは止まりません。「国民の生活が第一」というのは、「今が良ければそれでいい」ということです。

 この人の場合は「選挙に勝てはそれでいい」ですか。
 よろしくおねがいします。